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鞄の中を欲しいもので埋める自信が欲しいデイズ あと6ヶ月
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最近忙しかった(?)のであんまし本読めてなかったけど読んで面白かったので感想をー

辻村深月の「太陽の坐る場所」読みました。
27日に予定より早く待ち合わせ場所に着いちゃってなんとなくプラプラしてて買ってみた本。
ビラに載ってる解説の人の言葉どおりけっこう「翻弄される」というか。
なんていうか、高校生とかにありそうな方法でミスリード誘われて、それがはっきりしたときに一気に人の見え方ががらっと変わってしまったり、ギミックがたくさん。

個人的に面白いと思ったのは、この話は章ごとにクラスメートの誰かの視点で進むんだけど、全員なんらかの誤解を誰かに対して持ってること。
相手を実際より大きく見てたり、小さく見てたり。
自分の選択があって、それが正しいと思いたいプライドみたいなものの衝突とか、それがいかに脆いかとかみたいなのがすごい見えて面白かった。

個人的に、この本は何も考えてない時期をちょっと過ぎた、自分の知ってる人たちがいろんな方向に進み始めて、自分の位置とか考え始める時期に読むと面白いだろうなと思った。
要するに今の自分にはどんぴしゃな本だったかもしれないです。

またなんか読んだら書くかも。
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ライブとか色々終わりました。
なんかノリで弾いてたら楽しそうにしてたのが好評だったらしくいろんな人に声かけてもらえました
自分の好きなジャンルやってる先輩とも仲良くなれた(?)ので、いつかできるかもしれないのが嬉しいです

とりあえず少しずつうまくなりたいなあ

なんだかんだ決めてなかったこと全部決めてみました。
バイトの申し込み、それに向けて散髪、ベース教室確定。
あと2週間もすればついていくのがいっぱいいっぱいな日々を送れるかもしれない。
好きなことはもっと楽しめるようになりたいし、自分の空っぽな時間をある程度つぶさないとにっちもさっちもいかない状況な気がしてます。
この夏休みで、いかに自分が空虚な人間で語れるものもほとんど無いかに気づいたので、少しずつ変わらなきゃなと思ってます。
高校までの選択もくそもない自分じゃいけないし、あの頃みたいに何も考えないでも引っ張ってくれてた友達もいなかったりかみ合わなかったりして。


夏休み残りおよそ1ヶ月、後悔しないようにヤッテヤルデス

散髪にいったとこの担当さんがすごいいい人で助かった。
もじゃもじゃだったので、髪切ったら水に濡れた猫かなんかみたいにこんなちっちゃかったの!?っておもいました。とっぴんぱらりのぷう。
東京に戻って再びインドーアな生活に舞い戻り、日焼けの痛みも徐々にひいてきました。

どうなるかわからないけど、いろんな助けをもらって方向修正中。
結局お前のやる気次第じゃないか、とでも言うべきか、ぐずぐず考えてないで敷居跨げよってことだなあと実感。
ぐだぐだ気分述べてるのなんて負の連鎖なのかも。

ある意味今日はすごい度胸を使った日でした。人生初のことをしたもの。

とりあえず自分のやってみたいことやってみる時間とかで自分の空っぽな時間を少しずつ埋めていく予定。
そろそろ自分のお盆休みも終了です。
いろんなことが路頭に迷ってたからか、いろんな助けをもらった気がします。
自分が会った大人の人たちはみんな自分を「文系学生」として扱ってくれた。
こんな本が面白い、どんな本が好きかとか。
どんな風に生きればいいのかわかんねっす、なんて中2かつ漠然とした質問にも色々答えてくれた。
自分も自分なりの考えを持って、いざというときは答えられる人になりたいな。

この年になると働き始めた友達、自分の考えをちゃんと持ててる人たちを多く見ることになる。
もうそろそろなにも考えないで生きている生活を終わりにしなきゃ。
今までの自分はある意味幸運というか、特に考えない、選択をしなくてもある程度まで引っ張ってくれる人たちがまわりにいっぱいいたのかも。

とりあえずこれ以降はさらに痛いというかデンジャーな考えがぐるぐる渦巻いておりますゆえここまでに

なんかたまに自分でも冗談なのか本気なのか「自分正直高校までのことしか人生考えてなかったんすよwww」とか言ってたけどまさにその通りだよなあと思う。
そろそろ腰を上げなきゃー。

今はよくわからないけどいろんな人と話がしてみたい。
なんか凝り固まった自分みたいなの解消できそうな気がする。

伊藤静の「福助」読んだ。
講談社の漫画は個人的に好きなのが多いよー
人のために力を使うたびに年をとってく妖怪?神様?を拾ったひとたちの話。
なんていうか、きれいな人を描くのがうまいなあと思った。
近しい人に感じる儚さみたいなきれいさ。
こうやって数冊で終わってる良作漫画読むのが好きだよ、向こうでも古本捜索ついでに趣味に加えようかしら。
 
フォイフォイ。 帰ってから早いもので5日もたってます。
なんかいい面ばっかり嬉しくて目についてたので、考えさせられたことも書いとこうと思います。

盆踊りに出てきた。
正直自分の知ってる世代くらいの子になると地域の祭りに出なくなるのか、話せる人がいなくて途方に暮れてた。
誰かいないかな、って会場になった小学校の運動場を往復してたら後ろからちょんちょんと叩かれたので振り返ってみたら中1になる友達の弟くんだった。
誰かに声かけられたのがうれしくて、「おお君かぁ!」みたいなこと言ってたら人見知り気味だった自分の記憶と離れた、うちの学校の野球部流に洗練(洗脳?)された調子で「こんちわッス!」って挨拶してくれた。
嬉しかったのでとっつかまえて、焼き鳥おごるから!って名目でちょこっと付き合ってもらった。
焼き鳥がなかなか長い列ができていたので、二人で待ちながら最初は「兄ちゃん元気そう?」とか話してたんだけど、気づいたら自分が一方的に話してた。東京人多くて大変だの、自分くらいの身長が一番サラリーマンの人のワキビームが直撃してさー!とか。
それを野球部精神を刷り込み始めてるけどまだ人見知りが残ったどういうリアクションすればいいのかな・・・ってのが見える顔でうなづいたり笑ったりしてくれる彼がすごいかわいかった。
腰を落ち着けて焼き鳥を食べながら、なにか煮詰まってる僕は「最近楽しいことある?」って聞いてみた。
彼はちょっと考えてから、「クラスマッチが今度」って答えてくれた。
なんか自分は、仮に働き始めてからも、なんか煮詰まってるときにちっちゃい子とかにこんなくだらないこと聞いて一人でそうだよなあ、と納得してるんだろうなあと思った。
「焼き鳥ありがとうございました」って野球部作法であいさつして走ってく彼に思いっきり手振ってみた。

そのあと後輩くんを見つけたから話してたら、中学校卒業して会わなくなってた友達が「もしかして・・・」って名前をちゃん付けで呼んできた。
なんだか優しいまま大人っぽくなってて、いろんな話したり聞いてくれたりした。
彼の言ってる学校の文化祭になんかの縁でバンドで出た話とかして盛り上がった。
ウロウロしてたらテントで小学生くらいの子がおもちゃの消しゴム売ってるのが目に入って、2人でああいうのいいよね、無垢のかたまりっていうか売上とかそんなんじゃないっていうか・・・・とか話しながら歩いた。
実際買う人が少なくてちょっと寂しそうな様子だなあ、と何か胸に迫るもの感じながら歩いてたら友達が、
「ねえ○○ちゃん、さっきのやっぱり買わん?」って言ってくれた。
やさしい人だなと思った。自分も俄然乗り気で「おお、それでこそ!それでこそよ!」とか頭ぶんぶん振りながら消しゴム買った。
勉強にっ使えたら使ってみよう。
そんなこんなで僕は彼みたいな人大好きだなあと気持ち悪い考えをもった。

祭りが終わって、駐車場になってる児童遊園に行ったら、1個下の後輩くんたちがいた。
なんか風のうわさですごい頑張ってるって聞いてたので、会えてすごい嬉しかったんだけど、いつものノリでいじってくれてるのかと思ってデュフデュフ笑ったり自虐言いまくってたら「先輩ってこんな奴だったっけ?今のコイツカスじゃん」って言われた。
正直いじりのレベル超えて馬鹿にされ始めたこととかよりも、その言葉が結構きつかった。
仮に中学時代の自分にその子らが認めてくれてた何かがあったとして、今の何言われてもヘラヘラ笑ってる自分は認めてもらえてた要素をなくしちゃってるのかなと思った。
かといって自分だってちゃんと頑張ってるんだぞ、って言える要素がなくて、バンドやってたしなんて昔のこと話し始める始末。
みじめな奴ってこんなんだろうなあと自分でも思った。
後輩に遊びでケツけられてもニヤニヤしてるみっともない19歳はなんともやりきれない気分になって家に帰った。

そんな盆踊りでした。
にょんにき。昨日は先輩方のライブ見てきました。
やっぱり自分は先輩のギター好きだなあ。
なんか楽しそうに演奏する人ばっかりで自分まで楽しくなった。
メロコア系のバンドが苦手な理由の一つにライブハウスのお兄さんとかが基本的にいつもなんかと戦ってるっぽくて怖いってのがあったんだけど、メロコアなバンドさんもすごい楽しそうにやっててなんか好きになりかけた。

大崎善夫の「孤独か、それに等しいもの」を読んでいろいろ最近ぼんやり考えてたことと近いことがあった気がしたので、ぼんやり書いてみる。
本の中の八月の傾斜、って話が、中学から付き合いはじめた恋人を高校のときに交通事故で亡くしてから、毎年八月になると自分が転がり落ちるような「傾斜」が現れてしまう社会人の女性のおはなし。
毎年大きくなる傾斜に、主人公の女性はこんな風に考えている。

大久保君が死んでから十年がたって、あの九月のどん底が決して彼のせいだけではないことも私は感じ始めていた。私はきっと時間とともに失われてゆくすべてのことに怯えているのである。すべてを自分から奪い去ってゆく、時間という有無を言わせない力に。
大久保くんが恋しいわけではない。
大久保君と過ごした自分自身の姿が恋しいのだ。それはなす術もなく、日々、移り変わっていってしまう。二度と取り戻すことのできない記憶の堆積物に、私は勝手に大久保君という名前をつけて呼んでいるだけかもしれないのだ。

あの人がこうだから、とか考えてもそれは自分の中でその人として残ってる記憶の堆積物でしかなくて、実際のその人とは全然ちがうものかもしれない。
懐かしく思える記憶も、もしかしたら自分の見た人やものを自分で解釈しただけの独りよがりなもので、それを懐かしむことはその出来事を過ごした自分自身が恋しいのかも。
そんなことを自分にとって大事な記憶であることに対して思った。
自分には高校時代の友達っていう考えがすごく大事なもののつもりで、それを切ったり貼ったり、ことあるごとに引っ張り出してる。
けど最近感じる自分の情けなさは、こういうことなのかも。

うまくまとまらないのでここまでにしときます
なんかの本で以前読んだ、何かの終わりを感じ取ったら、自分から離れて「痛くない、痛くない」って思いこませていくのが生き方だった、って話がそういうもんかもなあと思えてくるここ最近。
何が不満、ってわけじゃないけどゆっくりとその時間は近づいてるように思います。

今日はお墓参りに行った。
うちの墓は自分の村(?)が見渡せる場所にあって、見渡す限りの田圃に囲まれた坂道をゆっくり登っていく。
どこ歩いてても人がいる東京と違って、高場から見下ろしても誰ひとりいない状況が以前は当たり前だったのに、今じゃ新鮮に感じながら我が家のお墓へ。
大学行ってますだの簡単な近況報告をした。

それから、坂道を逸れたとこにあるお寺を訪ねてみた。
このお寺にうちの猫さんの娘をひきとってもらったので、様子見ようと思って。
住職さんがちゅらさんが好きだったみたいで、名前はエリ。白黒ハチワレの人懐っこいかわいい子
残念ながら御留守みたいだったので、ちょっとうろうろしてから帰った。

帰り道にカラスが歩いてた。
田圃の畦道をきょろきょろしながら歩く様子はくだらないありふれた景色を「へー田舎だなあ田圃がこんなに!」って目を輝かせてる観光客の人みたい。カラスって目がきれいだし。
羽をたたんでる様子が手を後ろに組んでるみたいでますますそんなふうに見えてかわいかった。
たぶん実家に戻っていちいち感動してる自分もあんな感じなんだろうなあ。

そのあとはおむすびと麦茶流し込んで、自転車こいで図書館へ。
ちょこっと勉強したりして湯本香樹実さんの「春のオルガン」読んだ。
最後の解説が面白かった! 
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